何のために書く
上手く文章が書けない。
思っていることは山ほどある。
それを言葉にしたいとも思う。
それなのにわたしの脳みそときたら、全然働いてくれない。
すき、かわいい、嬉しい、幸せ、信じる、、、エトセトラエトセトラ
小学生でも書けるような陳腐な言葉しか、手持ちがない。
(今おもったけど、陳腐ってすごい言葉だ。腐った列だって。ありふれていようと、ひとつひとつの言葉の持つパワーは腐ってなどいないのにね。)
じゃあもう書くことを諦める?
自分の思いどおりに表現する術を持ち合わせていないのに、わたしはなにを頑張っているの?
空っぽな雑巾をいくら絞ったところで、水滴ひとつ落ちてこないのに。
何のためなんだろう。
頑張って書くという作業に疲れ、逃げだしてしまおうというところまできて、ふと考えてみた。理由によっては、本当にこのままやめてしまおうとおもったから。
結論からいうと、よくわからなかった。
ただ、誰のためかと聞かれたらきっと、わたしのためだ。
感情は長続きしない。
でも言葉は永久保存できる。
今日のときめきを、明日への希望を、わたしはずーーーっと忘れないでいたい。忘れないとまではいかなくても、たまには思い出して笑ったり泣いたりしたい。
だから、昨日も今日も、書いて消して継ぎ接ぎして、わたしの脳みそは、わたしの心の中とたたかったりしています。