きみの夢を教えてよ

8割オタク、2割ネクラ

夢をみるのは楽しいか

 



髙橋優斗くんは主人公だとよく言われている。すごくわかるなと、おもいます。
けれどわたしは、優斗くんは主人公であるのと同時に、その物語を創る筆者でもある、そんなふうに考えます。

 

この物語の主人公、アイドルゆうぴーを生かすのは、優斗くんです。

このことが、17歳の優斗くんと18歳の優斗くんの、ひょっとするといちばん大きな違いかもしれないと思っています。



記憶をさかのぼり、17歳の優斗くんを応援しているときのわたしは、本人も気づいていないような可能性だとか、まだ何ものにも染まっていない真っ白なキャンバスにどんな夢を描くのかとか、そういう、未知の世界に胸がドキドキするような感覚がすきでした。

18歳になり、おおきなステージの0番に立つ優斗くんは、自身をとりまく無限の可能性とか夢とか、そういう光をぜんぶ自分の力でかき集めて、その中からいちばんあかるく輝く道を、自らの意思で選びぬいてここまできました。


何がそうさせたのか、いつからなのか、わたしにはなにも分かりません。それでも、18歳のゆうぴーのちょっとした所作や言動からアイドルとしての覚悟や自覚、決意が伝わってきたし、わたしはそういう、自分の感じたものを大事にしたい。

本当のことなんてわからないままでもいいんです。小説に、読者の数だけ解釈があるように、わたしはわたしなりの解釈で、これからも優斗くんの創る物語の読者の1人でありたいし、いつまでもこの物語と、その主人公ゆうぴーを愛していられたらいい、そんなふうに おもうのです。



今日やっと19歳になる優斗くん。
15年間ふつうの男の子として暮らしてきたキミが、“ふつうの幸せ”という味を知っているキミが、今こうして、ふつうを殴り捨てて華やかな衣装を着てステージに立っていることが、どれほど尊くてありがたいことか。

4人の先輩に追いつこうと懸命に努力すること、時には厳しい向かい風を浴びること、しんどいことも沢山あるとおもいます。
テスト前に友達の家で一夜漬けしたり、たまにはサークルの飲み会で羽目を外したり、アルバイトしたお金で彼女と旅行したり、そういう当たり前の幸せを恨めしくおもう夜もあるのではないかなとおもいます、人間だれしも隣の芝は青く見えるものですから。それでも最終的に、日々、この道を駆け抜けてゆく優斗くんのことをわたしは嬉しく誇りに思うし、キミの未来が幸せであれ、いや、幸せでなきゃ困ると心からおもいます。

 

 

優斗くんは、どんな未来がきたら幸せですか?

 

それぞれが幸せだと思える未来があるように頑張りたい


そう言っていましたね。
HiHi Jetsと頂点目指すこと、デビューすること、それとも、もっと違う道かもしれません。
今日と明日では、世界がガラリと変わるかもしれなければ、優斗くんの幸せな未来像だって変わるかもしれない。

だからこそ優斗くんはきっと、具体的なお願いごとではなく、ばくぜんと、幸せな未来という言葉を選ぶのでしょう?

 

どこまでも慎重で、控えめで、
それでいて、自分のことだけでなく4人の幸せまで背負っちゃう優斗くんが、わたしはどうしようもなく、いとおしいです。

 

願ってしまったぶんだけ、叶わない日が来てしまう可能性に怯えそうになるけれど。でもわたしは予言者ではないので、どうせわからない未来のことに悩むのはやめます。
明日のことは明日考えればいい。
今日は、今たしかに快進撃を続ける5人のHiHi Jetsを応援する。5人でデビューすること、5人でビルボード1位取ることノーベル平和賞受賞すること。ぜんぶぜんぶ貪欲に夢見るし、その夢が叶うことが、5人にとっての幸せであればいい、そう願っています。


そして、あわよくば、そんな幸せな今日が 1日でもたくさん訪れますように、とも。

 

 

ところでゆうぴー、サマステ期間中のたのしそうなお顔、自分で見てみましたか?真夏の太陽よりもキラキラと輝いたその笑顔を、また見せてね。いや、見られるように、微々たる力だけれどわたしにも頑張らせてください。

 

 

 

髙橋優斗くん、

19歳のお誕生日おめでとうございます。

 

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                                               2018.11.15

何のために書く

 


上手く文章が書けない。
思っていることは山ほどある。
それを言葉にしたいとも思う。
それなのにわたしの脳みそときたら、全然働いてくれない。

 

すき、かわいい、嬉しい、幸せ、信じる、、、エトセトラエトセトラ

小学生でも書けるような陳腐な言葉しか、手持ちがない。
(今おもったけど、陳腐ってすごい言葉だ。腐った列だって。ありふれていようと、ひとつひとつの言葉の持つパワーは腐ってなどいないのにね。)

 


じゃあもう書くことを諦める?
自分の思いどおりに表現する術を持ち合わせていないのに、わたしはなにを頑張っているの?
空っぽな雑巾をいくら絞ったところで、水滴ひとつ落ちてこないのに。

 

 

何のためなんだろう。

頑張って書くという作業に疲れ、逃げだしてしまおうというところまできて、ふと考えてみた。理由によっては、本当にこのままやめてしまおうとおもったから。

結論からいうと、よくわからなかった。

 


ただ、誰のためかと聞かれたらきっと、わたしのためだ。

 

感情は長続きしない。
でも言葉は永久保存できる。

今日のときめきを、明日への希望を、わたしはずーーーっと忘れないでいたい。忘れないとまではいかなくても、たまには思い出して笑ったり泣いたりしたい。

 


だから、昨日も今日も、書いて消して継ぎ接ぎして、わたしの脳みそは、わたしの心の中とたたかったりしています。

 

 

 

幸せな未来はどこにある

 

D;J+を買った。

巻頭ってこんなにたくさん載せてもらえるんだ…!と メソメソしながら読んだ。一人一人のプライベートからメンバー分析まで読み応え満点で、テキスト厨は歓喜のあまり抱きかかえながら昼寝した(本当にあった怖い話)(よだれたらさなくてよかった焦った)

 

 

担当である優斗くんのテキストを読んだとき、すこしだけドキリとした。

 

それぞれが「幸せだ」って思える未来があるように、みんなでがんばりたいと思ってるよ。

 

アイドルから発せられる「永遠」や「未来像」ほど儚くて頼りないものはなければ、デビューが簡単でないことももちろん知っている。

それでも ぺらっぺらで 耳触りが心地よい“希望に満ちた未来”を語ってほしかったと 一瞬落ち込んでしまう自分がいた。

 

でも優斗くんはそうしなかった。

それが何を意味するのか ずっと考えていた。

 

 

今年に入ってからの優斗くんを語る上で頻繁に使われる単語のうちに「自覚」と「覚悟」「責任」がある。

デビューが夢だと明言することを避けることで ふつうの生活という選択肢を残しているのではないかなんて邪推も最初はしてしまったけれど。考えていくうちに、むしろその逆ではないかと思いはじめた。

 

アイドルとしての自覚が強くなった、アイドルとしての人生に覚悟が決まったからこそ、容易にその単語を口に出せなくなってしまったのではないか。

 

右も左もわからず敷かれたレール(エリート街道)をがむしゃらに走ってきた去年までは、夢までの道のり、その前に立ちはだかる障害物の大きさを しっかりと認識しきれていなかったようにおもう。

でも今年は違う。自らの意志で、4人と一緒に HiHi Jetsとしてステージに立っている。時には0番に立ち、ジャニーズJr.全体を背負ったりもする。

 

そうしていくうちに優斗くんは 今の自分とグループに足りないものや武器を、少しずつ分かりはじめているのではないかなという気がする。

 


きっとこわいよね。目の前のハードルの高さに挫けそうな夜だってあるよね。

 


恐怖心に打ち勝つのが先か、デビューが先か。上等だ、しっかり見届けてやるんだからな!

 

 

 

なんて、真相はわからないけれど。

少なくとも、優斗くんの日頃の言動や表情からは HiHi Jetsで天下とってやるぞという気概が感じとれるので わたしは自分の見たもの感じたものを信じて応援していたい。

 

 

 

そして、このコメントを読んで凄く嬉しかったこともある。

それぞれが「幸せだ」って思える未来があるように

の“それぞれ”の部分。

 

優斗くんは、自分の幸せな未来を願うのと同時にメンバー4人の幸せを願うのだなとおもった。

橋本くん、瑞稀くん、猪狩くん、作間くん、4人の人生も一緒に背負ってるんだな とも。


HiHi Jetsのメンバーのことがどれほどだいすきで 大切なんだろうって 凄く凄く、涙がでるほど嬉しかった。

 

 


わたしは、HiHi Jetsが髙橋優斗くんを強くするし、髙橋優斗くんがHiHi Jetsを強くするって本気で信じていて。

優斗くんだけではなくて5人全員に同じことが言えると思っている。

 

だから、それぞれの幸せな未来は、絶対に、HiHi JetsHiHi Jetsとして戦い続ける先にあると確信している。

 

 

 

はーーーーまけない!

何にだろう、わかんないけど、

まけないぞ!!!!

 

 

 

duet編集部にハガキ書いて寝よーっと!

 

大学に馴染めない

 

 

3ヶ月ぶりに学校に行った。
踏みつぶされ 生きるよりも先に死んでしまった銀杏をつま先で避けながら、もうこんな季節か とため息がでた。

 

卒業に必要な条件は全て揃ったらしい。ゼミも卒論もないわたしは他の人より一足早く、ひっそりと、16年間の学生生活に幕を閉じた。


学生最後の記憶が 大嫌いな銀杏の匂いになってしまうのはなんだか癪だったので、これまでの日々を 走馬灯のように振り返りながら家に帰ることにした。

 

 


大学には片手で数えるほどしか友達がいない。そのうち1人はキャンパスが違うし、残りの3人はテスト期間しか姿を現さないレアキャラだ(かくいうわたしも遅刻常習犯ではあったけれど)。
わたしはいつもひとりぼっちで、キラキラに擬態した ギラギラのマウント合戦を眺めていた。


自分としては極めて第三者であり傍観者のつもりでいたけれど、名前もわからない(のに顔だけは覚えてしまった)彼女達からすればわたしはきっと敗者なのだろうなと ぼんやり感じていて、そのことが至極苦痛だった。わたしの大学嫌いの根源はここにあると思っている。


休み時間の賑やかな、高らかな笑い声はいつも、わたしの耳だけではなく 萎縮して丸まった背中を劈いた。
ボリュームを上げすぎて音割れしたイヤフォンと スマホの小さな画面だけが味方をしてくれたし、Wi-Fiを自由に使えることが唯一 大学のすきなところだった。

 


わかっている。これは自意識過剰なのだと。実際はわたしの存在なんて誰の視界にも記憶にもないのだろう。


それでもわたしは、“私たちいま最強に楽しんでます”というアピールにも似たオーバーなテンションがどうしても苦手だった。可笑しくて思わず溢れてしまう笑いとは明らかに何かが足りない、もしくは足りすぎている笑い声がしぬほど不快だった。


この小さな社会に馴染めなかったわたしを嘲笑っている気がして心が休まらなかったのだろう とおもう。
ほんとはそんなはずない 自過剰だとまで分かっているのに尚、気になってしまうことをやめられなかった。
もはや病気だ、笑える。

 


不思議なのは、大学以外のコミュニティではなんの問題もなく生活できていることで。中高の友達は月イチかそれ以上で集まるくらい仲が良いし、アルバイト先の人とも海外旅行に行くくらいには良好な関係を築けている。

 

さらに言えば、わたしはカラオケも牛丼も焼肉もなんでも1人で行ける。人の目なんて気にならない。

 

 

 

どうして大学という世界だけが苦手なのだろう。
牛丼屋で隣に座るおじさま方の視線は気にならなくても、隣で授業を受ける学生の視線に耐えられないんだろう。

 

 

この謎が解ければきっと、わたしはもう少し大学をすきになれる気がしていたけれど、結局わからないまま卒業してしまうんだなあ。


原因がわからない限り同じことを繰り返してしまうかもしれないと、ふと怖くなった。

 


春からわたしは社会人になる。
会社には適合できるだろうか。
どうしたら馴染めるのだろう。

 

 

 


はあ。長文書いたところで、オチも謎解きもない。それでも生きてこれたからなんとかなるかなって思ったりもしている、根が楽観主義者なので…
半年間延長になった人生最後の夏休みにわたしはこんなことを考えていたよっていう、しるしです。

 

 

 


だいすきなだいすきな スーパーヒーローに倣って、自己啓発本でも読んでみようかな。

読書の秋だしね。