きみの夢を教えてよ

8割オタク、2割ネクラ

わたし的【担当】の定義

 

 

2018年、オタク人生で初めて担降りについて考えた。もともと根っからのDDオタクで常に複数の現場をふらふらしてきたけれど、マイペースが功を奏してか、これまでは、周りと比較して後ろめたくなったり惨めになったりすることなく楽しくオタクをしてきた。

 

それなのに。

夏を過ぎたころ、過去の自分と比較してWESTのオタクができていないことに薄々気づいてしまったとき わたしはとても狼狽えてしまった。これからもずっと、かみやまくんの担当をして、ジャニーズWESTのオタクでいると信じて疑っていなかったし そうありたかったから どうしよう、とおもった。

 


どうしてわたしは担当であることに固執しているのか、理由はすぐに思い当たった。

わたしは彼らの明るい未来を信じている。その夢ひとつひとつが現実になるとき、一緒に喜ぶ当事者でいたいからだった。「おめでとう」ではなく、「やったー!!!!!!!*1」と言いたいのだ。

 

そんなふうに、いつの日か当事者でいるために 当事者であり続けたいというあまりに邪で勝手すぎる自分に、本当に本当にガッカリした。悲しかったし怒りもあった。

けれども、では、頑張って追いかけるのは、義務のようになってしまうのは、間違っている。

わたしはどうしたらいいのかわからなくなって、それからしばらく考えることを放棄した。

 

 

もちろんDVDもアルバムも購入して擦るほど聴いたり/観たりしたし、雑誌も買ったりしたけれど。(愛の奴隷→YSSB→間違っちゃいないをエンリピするタイプのオタクです、みなさんのプレイリストはなんですか?)(ステマ)(脱線すな)

 

 


そうしてあっという間に月日が過ぎた。

 

 

 

2018年の冬、ジャニーズWESTはとある年末恒例音楽特番に出演しなかった。去年も一昨年も出させてもらったステージ。今年も例年通り、事務所の先輩や後輩の出演が多数決まっていたのに、そこにジャニーズWESTはいなかった。

 


わたしはそのことがひどく悔しかった。

理不尽だとか不可解だとはおもっていない。悲しいけれど、きっと妥当な結果なのだろうとおもった。だから余計に悔しかった。

 

わたしはジャニーズWESTのことをとても信用している。それがアイドルとしての頂点であるかどうか、彼らが望む未来であるかどうかは別として、ジャニーズWESTとは もっともっとたくさんの人から愛されるグループだとおもっている。“1番すき”とか“担当”とかそういう言葉に形容されるのとは違う、「なんか憎めないよね~」「よく知らないけど結構すきだよ」ってお茶の間のみんなが思うような、そんな人たちだとわたしは割と本気で思っている。(これについては個人の解釈の自由としてサラッと流してほしい)

 

 

でも悔しくて悔しくて、ふと気づいたことがあった。

意識するまでもなくごく自然に、ジャニーズWESTのあれこれについて笑ったり泣いたりしている自分がいることに。

そっか、当事者でいたいなんてそんなこと、考えてどうこうするものじゃないんだよなって。

そして いまのわたしは彼らに何かあったとき、可哀想とか残念とかではなく 悔しいと思うんだなってことに気がついた。

 

 

わたしは、自分がどうありたいかではなく、彼らの「悔しい」「嬉しい」がまるで自分事のように笑ったり泣いたりして 心が揺れ動く限り 担当を名乗り続けることにしよう。応援スタイルや現場の数は臨機応変に、。そんなふうに考えをまとめてみたりした。

 

 

 

うんだから。

わたしはまだまだこれからも神山智洋くんの担当を名乗らせてもらおう、とおもいます。

 


そうしてすこし、自分にとっての担当と担降りの定義が輪郭を得たような気がする、平成最後の冬でした。

 

 

WESTVまであと4日!

2019年のジャニーズWESTもだいすきだな!

たのしみすぎるな!

 

 

 

 

 

*1:担タレなのでビックリマークは7つです、やかましいわ